こんばんは。奪衣婆です。
今夜は、ブログの名前につけさせてもらっている「ガリガリ亡者」についてまとめました。
皮肉を込めて「ガリガリ亡者」と使うことが多いのですが、ここでは、憎めない存在として親しみを込めてそう呼んでいます。
我利我利亡者
相手のことを思いやろうという気持ちがなく、自分さえよければいいという自分の利益ばかり追い求める者を、批判的な意味を込めて我利我利亡者といいます。
苦しみを持つ者
底の知れない欲の心や、怒りの心、恨みや妬みの愚痴の心が、苦しみを生み出し自分自身を苦しめて、相手のことを思いやろうという気持ちにはなれず、相手をひどい目に合わせてしまいます。
仏教おいては「6大煩悩」があります。
煩悩とは、自分自身を苦しめ、煩わせる心のことを指します。
煩悩の種類は多く「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などともよばれます。
「六大煩悩」は次のとおりです
- 貪(とん) むさぼり
- 瞋(じん) 怒り
- 痴(ち) ものの道理がわからないこと
- 慢(まん) 自らを高くみるおごり
- 疑(ぎ) 仏教の真理を疑うこと
- 見(けん) 邪悪で誤った見解
特に 貪・瞋・痴 は毒のように心を蝕み、本来の清らかな心を失わせるといわれています。
キリスト教の「七つの大罪」はアニメなどで題材に使われることが多いので、広く知られていますよね。
ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」といわれていて、罪そのものというよりは、人間を罪に導く可能性があるとみなされてきた欲望や感情のことを指します。
「七つの大罪」は次のとおりです →は「美徳」とされています
- 傲慢 → 謙虚
- 強欲 → 慈善
- 嫉妬 → 感謝
- 憤怒 → 忍耐
- 色欲 → 純潔
- 暴食 → 節制
- 怠惰 → 勤勉
不幸になる道
周りからは、「あのひとは思いやりがない人だ、自己中心的な人だ」と疎まれたり嫌われたりして、結果、自分自身を苦しめ、孤独にさせるのです。仏教では、この我利我利亡者を不幸になる道と教えています。
幸せになる道
逆に幸せになる道を自利利他といい、自他とは「自らの幸せ」のことを指し、利他とは「相手の幸せ」のことを指します。幸せになりたければ、利他「相手の幸せ」を心がけよと教わります。
仏教に限らず、昔から周りにいる大人に「人のためになることしなさい」と言われて育った人は多いですよね。わたしもそのひとりで、「自分が!自分が!」と言ってはいけませんと言われて育ちました。
幼少期に母親が、「人のために」と地域活動を熱心に手伝っていました。集まりがある日は帰りが遅くなり、夕飯の支度も遅くなることがあったのですが、そういう日はきまって家で待つ父が痺れをきらして暴れていました。「人のために」やっていることが幼いわたしにはとてもつらいことでした。
「人のために」と「自己犠牲」の違い
日本人特有の考え方として、自分より相手の人を立てないといけない、自分を犠牲にしてでも相手に尽くさないといけない、また自分の都合や願望を主張するのはよくないという考え方が根付いています。
個人よりも相手のためにという考えに日本人は陥りやすいと言われています。自分自身を大事にすることや、自分自身を労わること、自分の都合を主張することは悪いことだと思い込んで自分を犠牲にして他人を大事にしたり、人に尽くして心身ともに疲れ切っているひとが多いです。
「自分の幸せ」にばかり囚われるひとも、「他人の幸せ」にばかり囚われるひともガリガリ亡者だと言えるのではないでしょうか。
「仏教の中道」と「節制XIIII」の共通点
仏教では、どちらかが極端になるのではなく「自分も幸せ」「相手も幸せ」の両立するバランスのとれたところを目指しなさいと説かれています。仏教の核となる教えの、中道(ちゅうどう)というものです。
タロットカードでも「節制XIIIIのカード」がどちらかに偏るのではなく調和する大切さを教えてくれいます。
しかしながら、自己犠牲が良しとされて育つと、極端にならない中間の幸せが難しく思えます。自分の都合を考えると相手に嫌われるのではないかとか、言い争いになるのではないとか、新たな悩みが増えたりします。
「自分の整理」をはじめると、負の感情が生まれたときに一旦立ち止まり、「中間」を探せるようになります。はじめは上手く感情のコントロールができなくても、何度か繰り返すうちに、「中間」を探す思考が生まれます。わたしもそうやって自分の中のガリガリを飼いならしていますよ!
自分を大切に思うということ
自分がいとおしいと思うことは当然の考え
「自分がいとおしい」という感情をお釈迦様は否定しておられません。
「人は皆、自分がいとおしいと思うことは当然のこと。だからこそ、相手も自分を大切にしているのだから、お互いそれを大切にしていきなさい」
という自利利他の在り方を説いておられるのです。
決して自分をいたわったり、自分を大事に思うことは間違いではなく、それが自己中心(我利我利)だと言われているわけではないのです。
自分を大事にするという考えがあさましいという想いに囚われている方も、いらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。
自分をいとおしいと考えるのは当然のことですし、 だからこそ相手の人を大事にすることが大切なのです。
相手を大事に思えるのは、自分を大事だと思っているからなのです。
引用:仏教辞典
我利我利亡者についてと自己犠牲について分かりやすく学べます。「ブッダの教える自利利他の精神を 実践┃自己犠牲との違い」仏教辞典 難しい仏教用語を分かりやすく解説https://bukkyouwakaru.com/dic/thank-myself
「自分に自信がない」とか「自己肯定感が低い」とよく耳にします。
自分をいとおしく思うことで、自分を信じることや、自分を認めることができるようになります。